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聖書のことばを分かりやすく
偉大な大祭司
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     ヘブル人への手紙には、イエス様が「偉大な大祭司」と強調されています。ヘブル人(ユダヤ人)にとって、大祭司は神様と自分の間を執り成す特別な存在でした。罪や汚れなど神様の御心にふさわしくない思いや言葉や行いによって、神様との関係を断絶してしまった時、その関係を回復して頂くために心から悔いて犠牲を携え、祭司や大祭司に祈って頂くのです。その祈りが受け入れられた時の喜びは何にも代え難いものだったと思います。

     ヘブル人への手紙五章7節には「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、その敬虔のゆえに聞き入れられました。」と記されています。ゲツセマネでのイエス様の祈りを思い起こさせる聖句です。その祈りは、血のしずくのような汗を流したとも描写されているほど切なる祈りであり、苦悩に満ちた祈りでした。

     ヘブル人への手紙7章25節には、「キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられる」と書かれています。今は私たちの為に執り成しの祈りをささげていてくださるのです。その祈りは、ご自分が人としてこの世におられた時に実践した「大きな叫び声と涙」とをもっての祈りでしょう。苦悩と悲しみに満ちた日々の生活の中で、どう祈って良いか分からない私たちの為にイエス様は「大きな叫び声と涙」とをもって執り成しの祈りをささげていてくださるのです。まさにイエス様は私たちの「偉大な大祭司」です。そのイエス様がお生まれくださったクリスマスを心からお祝いしたいと思います。
    | - | 09:21 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
    失望してはならない
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       ルカ18章に、二つの例え話が記されています。特に9節から始まる例え話は私が大好きな例え話の一つです。読みながら、二人の姿がハッキリと脳裏に浮かんでくるような生き生きとした例え話ですし、お祈りに関してとても励まされるからです。教会に生まれ育って、子どもの頃から偉大な祈り手の祈りを見聞きしながら、自分の祈りの粗末さに心うなだれていた私のための例え話のように感じているからです。

       9節には、その例え話が「自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たち」に向けて語られたと記されています。例え話に登場するパリサイ人は、その典型です。他の人々と自分とを比べながら、いかに自分が立派な信仰者か誇っています。特に、取税人と比べて「この取税人のようではないことを、感謝します。」と取税人を見下しています。

       対照的に、取税人はうつむいて「自分の胸をたたいて」自分が神様の前に出るにはふさわしくない者であることを告白しています。1節に、例え話の目的としてイエス様が「失望してはならないこと」を教えようとしておられることが書かれています。信仰生活において、特に祈りにおいて私たちが失望する一番の原因は、私たちが自分で自分にダメ出しをすることではないでしょうか。取税人のように、「こんな私には神様は心を留めておられない。」と思うとき、そんな私にこそ神様は目を留めておられるのです。自分で自分を見下して、その結果として失望してしまうことがないように。神様の恵み深さに信頼し続けましょう。
      | - | 13:19 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
      さあ、目を上げて
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         「さあ、目を上げて…見渡しなさい。」とは、ロトが出て行った後、アブラムに対する神様からの語りかけです。この時のアブラムは、甥のロトが、青々と緑が生い茂っている地域全体を選び取って出て行ったことで首うなだれていたようです。

         これまでの長い旅路を、苦労をともに分かち合いながら歩んできたロトと別れたのです。複雑な心境だったことでしょう。しかも、別れるに際して、甥のロトに先に選ばせたところ、よく潤っている地域を全部自分のものとして選び取り、さっさと出て行ったのです。

         複雑な思いがアブラムの心を重くしていたことでしょう。ロトのこれからはどうなっていくのだろうか、自分たちの生活はどうやっていったらよいだろうか、と様々な不安で心が暗くなっていたのではないでしょうか。そんなアブラム、首うなだれているアブラムへの神様からの語りかけが「さあ、目を上げて…」でした。

         ロトが残した地は、アブラムにとっては不利な荒れ地で、難渋な苦労が予測される地です。でも、その荒れ地を、神様はしっかりと見るようにと語りかけているのです。そのように語りかけてくださる神様は、アブラムが見ている荒れ地を一緒に見ていてくださる神様です。「さあ、目を上げて…」は、まるで「わたしも一緒に見ているから…」との励ましの言葉のようです。私たちも将来に対する様々な不安で心が重くなるとき、神様は「さあ、目を上げて…」、「わたしも一緒に見て、これからも一緒に歩いて行くらか大丈夫。」と励ましてくださるお方です。
        | - | 10:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
        風をしかりつける主
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           マルコ4章には、イエス様の偉大な能力の一端を垣間見る記事があります。弟子たちとガリラヤ湖に乗り出したイエス様たちが、突然の大嵐に遭遇しているエピソードのイエス様です。イエス様のすばらしさが一番良く表されているのは、風をしかりつけているイエス様です。

           風をしかりつけるとは不思議な表現です。表現だけでなくイエス様の行動そのものが大いに不思議です。しかりつけられるとしたら弟子たちの方がふさわしいような状況だったからです。嵐に直面しながらも、疲れでぐっすり眠っているイエス様に、恐れの余りとは言え「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思わないのですか。」と不平を言っているからです。

           ところがイエス様は、そんな弟子たちを叱るのではなく、むしろ風をしかりつけられたのです。叱られた風は「どこ吹く風」と平然としていても不思議ではないのですが、イエス様の言葉に従って静かになったのです。それほどイエス様の言葉には権威があったのです。私たちの救い主は、これほどの権威を持っている方です。

           何よりも慰められるのは、風をしかりつけられたイエス様の姿です。それは、突然の嵐で恐怖から慌てふためいてイエス様にさえ文句を言っている弟子たちの側に立って下さったことを表しているからです。私たちも日々の困難や試練に直面すると、ついイエス様にさえ文句を言いたくなってしまいます。そんな私たちでも、イエス様はいつでも私たちの側に立っていてくださることを心に留めたいと思います。
          | - | 17:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
          もうひとりの助け主
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             「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。」(ヨハネ14章16節)これはイエス・キリストが十字架を前にした最後の晩餐で、心を動揺させている弟子たちのために語られた約束の言葉ですその約束の中心は「もうひとりの助け主」が与えられるということです。

             弟子たちにとってイエス様がいなくなること、それも十字架という残酷な処刑によって取り去られることは、とうてい受け入れられないことでした。それが現実となったときには、だれ一人耐えられない苦悩に押しつぶされると恐れたのです。そんな弟子たちに「もうひとりの助け主」と表現されている聖霊なる神様が約束されているのです。パラクレトスという言葉を使って、困難なときこそ私たちの一番近くにいて力づけてくださる方と強調しています。

             しかも、この助け主が与えられるためにイエス様が「父にお願い」してくださったのです。もし私たちが自分で祈り求めなければならないとしたら、とても助け主が与えられると期待出来ないことでしょう。私たちの祈りは、そんなに力強いものでありませんし、神様に聞き入れられるような資格を私たちは持ち合わせていないからです。でも、イエス様がお祈りして下さったのです。今も、私たちには「パラクレトス」が与えられています。
            | - | 01:33 | comments(1) | - | - | ログピに投稿する |